佐藤けんじ

佐藤けんじ 道南発、日本の未来。

佐藤けんじ
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No. 66 /2009/1/1
誰のため、何のための改革であったのか

政府が介入する、市場に委ねる。でも政府は常時介入すべき、市場に全て委ねよというと極端すぎるという警戒感が出てくるのは当然だろう。むしろ、知恵のめぐらす範囲はどの程度であ るのが一番副作用が少ないかというのが落ち着いた答えのはずである。

昨年、米国発の金融危機はついに崩壊してしまった。ソビエトを崩壊に追い込んだ勢いのままに米国流の資本主義がピークを打って崩れた。ただ経済だけではなく一極覇権の外交策はそれ以前に混迷に突入してしまっていたのである。

日本でもごたぶんにもれず米国発を新鮮なまま直輸入してふりまいた規制緩和路線は本当に意図通りに進んだといえるのだろうか。民営化は効率化の手段であり、その目的こそ政治の見定めるところである。ところが実態は効率化以前である怠業や詐取までに及んでいた。日常、人々の気がつきにくい長期スパンの年金や非常時の医療や介護におよそ人の道にはずれている行為までもが生じ続けている。また、地元では限界集落の続発という事態を目前に、追い打ちをかける行政行為までが平然と生じてしまっている。

わからない。どういうつもりでこういうことが言えるのだろうか。あるいはどういう思いですすめていくつもりなのだろうか。小さな政府とか、大きな政府とか、卑近では政権交代の実現のためだとか、政党のスローガンを信じて突き進むだけの人数あ わせの兵隊達が政治家なのだろうか。

私たちは今生きている眼前に展開する暮らしの中から世界を見る。

つぶやく言葉を聞きのがしてはならない。

むなしく過ぎ去る言葉を語るより、より多くを聞き続けたい。そして小さくても具体的な一歩を刻んでいきたい。

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